色々な趣味 pt.2 🎣🚤【釣りにまつわる話】


 初対面の人と会話をするなんて良くあることで、会話が途切れて無言の時間が過ぎる。 そんなシチュエーションで相手に気を使われてしまった時、釣りの話を切り出されたことがあった。 私も釣り好きなので話そうと思えば相当な時間を費やせる。 そんなこともあって釣りにまつわる半世紀の思い出をブログのネタにまとめてみた。

 初めて釣りが面白いと感じたのは、小学校の級友から誘われた釣りがきっかけだった。 道具も持っていないし、やり方もわからない私に自分の竿を貸してくれて、仕掛けや餌もすべて用意してくれた。 あいにくの雨の中、近所の池でレクチャーを受け、楽しみ方も知らぬままボーっとしていると
「引いてる!」
興奮気味の友人に言われるがまま竿を立ててみると強烈な引きと水面を激しく暴れる魚にビックリしてしまい、勢い余って糸を切ってしまった。 しばらくその興奮から覚めることはなかった。
 その友人から釣りのことを学び、一緒に何軒もの釣具店を見て回わり生き餌や道具や仕掛けの説明を聞き、時にはふざけ過ぎた商品にウケて大騒ぎする楽しい時間を過ごした。 釣りキチ三平や、金曜日にやっていた「11フィッシング」も欠かさず見るようになった。 幸い母の弟がまた相当な釣りキチで、ハイシーズンには毎週土曜の夜から三重県や福井県、静岡県などに連れて行ってくれた。 地磯、沖磯、仕立船や船外機付マイボートでの釣り、沖堤に渡っての釣り、漁港などでの夜釣り、色々な釣りを教えてくれて、楽しませてくれた。 そのため釣りのイロハを教えてくれた級友や、中学生の頃の釣り仲間には、相当羨ましがられていたと思う。 徳島県や三重県熊野市の沖磯にも遠征したことがあるが、熊野では岩場で滑って目の上に大きなたん瘤を作り、紫色のアイシャドーでメイクをしたかのように。新学期が始まった学校では皆を酷く驚かせた。

 話が逸れるが、とある選挙の立候補者に中学時代の級友がいる。 子供のころを思い出しているうち、小学校で同じ水泳部だった別の級友を思い出した。 日の出を迎える時間帯で、まだ息が白く見える季節だったが、自転車で小一時間かけて市外の野池へ釣りに出掛けたことを思い出した。 二人きりで何かをした記憶はそれが最初で最後だったと思うが、とても楽しい時間を過ごした。 何年か前、その友人のことをネットで検索してみたことがある。 その時は何がきっかけか思い出せないが、意外にあっさりと見つかった。 そして、大学教授であったことと、若くして亡くなられていたこと。 哀しい知らせだったが、何か偶然とも思えない不思議な気持ちになった。

 ルアー釣りがまだあまり知られていない時代、海外のバスフィッシングの記事を見ては夢を膨らませていた。 裏庭でフライ・フィッシングのスペイキャスト練習をしていた時期もある。 これが結構ロングキャストが出来ていたのだ。
そんな時期、小浜市の沖堤防にボートで渡り夜釣りをしていた時のことだが、大きなスズキの群れが堤防に沿って回遊しているのを目撃した。 大興奮で手を震わせながら慌ててルアー(たしかABUのTOBY)を結び、何度も群れの前方にキャストしてトロトロと引いてみたが見事に見切られ避けられた。 水の中を引いてみるとユラユラと面白い動きをするのは分かるのだが、釣るためのノウハウがなかった。 こんな金属板で本当に釣れるのか懐疑的になってしまった。

 バイクや車の免許を取得したが、釣り以外の多くの趣味や彼女とのデートに割く時間、日曜一日だけの貴重な休みを釣りに充てる気にはなれなかった。 一人暮らしを始めると、家事や車の手入れなどで休みは終わってしまうことも多くなり、益々釣りへの執着は薄れていった。 それでも会社の先輩を誘って、当時所有していた手漕ぎのアキレスボート持参で海水浴に良く通った福井県三方郡美浜町竹波海水浴場にキスを釣りに出かけたりはしていた。
 本格的に釣りを再開したのは、フリーでSEを始めた1994年から通うようになった美容室で、オーナーに釣りの話をしたのがきっかけだ。 釣りをあまり知らないオーナーに、小学生のころ自分が受けたように釣りのイロハを伝授するようになった。 今思えば、その知識や釣り方、道具など、自分自身も随分と時代に取り残されていた感がある。
 店を閉めた後、コメダで釣行の計画を立てたりするような釣り友となって、日中の仕事中
「これからどうかなぁ」
なんて連絡を貰うと、仕事そっちのけで近場の漁港などへ出かけた。 仕事の連絡は、東海デジタルホンの携帯電話で海に居ることを悟られないように...(今の携帯並みに通話音質がクリアだった)... そんな感じで仕事は夜間に帳尻を合わせていた。 休みを合わせて遠征することも増えた。 フルフラットに出来るワンボックス車に乗っていたのも釣具の積載や遠征時の仮眠には好都合だった。

 仕事の都合もあって生まれ故郷を離れ、1997年春に長野県松本市へ移住することにした。 清流でフライ・フィッシングや、結氷した中綱湖でワカサギの穴釣りをやってみたものの、川や湖の釣りは性に合わず、また釣りから離れることとなってしまった。 それでも、故郷の釣り友と三重の筏釣りに出かけたが、さすがに移動の辛さに音を上げた。
 松本市ではチワワを飼うことになった。 松本市に借りた物件の契約ではペットは不可だった。 それもあって、大町市に家を建てるに至り、合わせて遊び相手となる相棒のチワワを迎え入れた。 大町市は松本市から35Kmくらい北の街で、車なら1時間程度 (途中の信号は数えるほどしかない)、日本海にもアクセスしやすくなった。 新潟県糸魚川市へ気軽に釣行できるようになったのは、ワンコが死んでからのこと。 15年近くも釣りから離れていたことになる。
 新潟へ通い出した頃、ルアー・フィッシングをYoutubeで学び直し、道具を揃えてのめり込んだ。 いずれ名古屋に帰ったら、オフショアでのジギングを夢見て小型船舶免許も取得した。

 2015年に故郷に戻って昔なつかしい堤防などを見て回ったが、あまりに環境が変わってしまって失望した。 釣り人も増えマナーも低下し、釣り禁止になっていたり楽しめる環境では無くなってしまった。 それでも数回、懐かしい釣り場へ行ってみたが釣れる気がしなかった。 海は遠かったが、まだまだ未開の地だった新潟県の海を恋しく思う。
 ごく最近では、三重県紀北町でボートをレンタルするようになった。